今思えば、母の容態が変わりだしたのは27日からでした。
その日は朝から一日中唸っていることが多くなり、少しだけトイレに行くまでの足取りがおぼつかなくなってきました。
夕飯時は食べたくないと言っていたので、食事量を半量にて……。
夜間は歩ける自信がないと母から言われて、オムツに交換してトイレに行かなくてもいい状態にしました。
ただ28日朝方4時過ぎにコールがあって、オムツに出したくないからトイレに行きたいと言われトイレへ。
結局、紙パンツとパットに着替え直しました。
その日(28日)は10時過ぎにどうしてもパットにするのは嫌だからトイレまで歩いて行きたいと言われて連れていったのですが、途中で歩行が難しくなり帰りは車椅子で寝室まで戻ることに。
タンが詰まっている様子がすごくあって常に喉がゴロゴロ言っていたので、何度かタンの吸引をしたのですがなかなか取るとこが出来ず。
酷い咳き込みが続いていました。
夕方近くになって、急に声を掛けてもあまり反応してくれず手を握り返すこともしてくれない状態になり、タンの詰まりも酷かったので看護師さんに連絡しました。
何度もタンの吸引をしてもらい酸素量を測ったら70もない状態。
訪問医療の先生に来ていただいて診察した結果、タンなどが肺にたまって肺炎になりかけているとのことでした。
抗生剤の注射をしてもらい、酸素を出す機械と酸素ボンベをレンタル。
酸素を送っても母の体内の酸素量はあまり回復することもなく、28日の夜間はタン絡みで苦しそうに咳をしている母の横で、私に出来たことは何度かタンの吸引を試しては上手くいかずに諦めることを繰り返すだけ。
29日、本来であれば病院に行く予定だったのですが、母が動ける状態ではないためキャンセル。
目を開けることはあっても焦点はあわず、ほとんどの声掛けにもあまり反応がなく……。何となく考えるのを遠ざけてきていた入院して病院で看取ってもらうか、自宅で看取るかの選択をしなければならない状態になりました。
28日の時点では入院か自宅か迷っていたところもあったんですが、28日の夜間、苦しそうに咳をして全く寝ることが出来ない母の姿をずっと見ていて、これが続くのであればとてもじゃないけど家で看取るなんて考えられないと思いました。
そもそもタンの吸引をもう少ししっかりと私が出来ていたら、肺炎になんかならなかったのではないかとかいろいろ考えてしまうと怖くて看ている自信が持てなくて……
病院なら苦しそうにしていればタンもしっかり取ってくれるだろうし、母の状態をしっかり解って動いてもらえるのだろうから入院しかないと29日の朝に決意して、すぐにこれから入院希望であることを伝えました。
ですが病院からベッドの調整中だからもう少し待ってと何度も連絡が入り、その都度入院よりも自宅の方が良いと進められて……
確かに母は話が出来ていたころ、もう病院には入院したくない、何もしてくれなくてもいいから家がいいと言っていたこともあり、実際病院で家に帰ると駄々をこねたこともあったらしく……。
病院の先生からは、母か家に居ることを望んでいたし、入院しても出来ることは自宅と変わらないと言われて何も言えなくなってしまいました。
訪問看護の看護師さんがその状況で悩んでいた私たちを心配して「ご家族が希望されるのであれば病院側で何と言っていても気にしないて入院したいと言っていいんですよ。」と言ってくださったのですが、もう一度弟と相談して入院ではなく自宅で看取りをすることに決めました。
その後、心配していた肺炎の咳き込みも訪問医療の先生や訪問看護師さんがいろいろと対応してくださって今は落ち聞き、穏やかに過ごしています。
3/1現在、目を開けることも手を握り返したり反応することも全くなくなってしまったのですが……。
一緒にこうして過ごすことが出来て、結果的には入院の選択をしなくて良かったと感じています。
いつまで母が頑張ってくれるかは解りませんが、出来る限りはそばに居たいと思います。
コメント